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ヒューム管の「ヒューム」の語源は何だと思いますか? これは英語でもフランス語でもありません。発明した人の名前です。
「鉄の時代は、コンクリートの時代に変わる」この象徴的な言葉に魅せられた男たちが、20世紀の初めにオーストラリアに現れました。彼らの苦しみと情熱によって生み落とされた技術により、今日、私たちが下水道や農業水利などに利用しているヒューム管が発明されました。
このヒューム管の生みの親は、オーストラリア南岸セント・ビンセント湾に臨む港町アデレイドに住み、鉄飾り細工を生業としていたE・J・HumeとW・R・Humeの2兄弟です。この兄弟によって1910年(明治43年)にヒューム管の製造方法が発明され、発明者の名前を商品名としたその技術が日本に導入されました。
農業国であったオーストラリアの産業構造から、Hume兄弟はいち早く遠心力鉄筋コンクリート管による導水管の開発、量産化に着目しました。この地では灌漑に当たり、悪水が多く、鉄管内に汚物が溜まり、水の流れが悪くなるところから、コンクリート管の利用にヒントを得たと伝えられています。
鉄とコンクリートを一体の物として強度を高め、遠心力の応用と結び付け、更に工業生産にふさわしい量産方式のシステムを考案したことは、Hume兄弟の卓越した頭脳と先見の明があったことを示しています。
国外では先ず南アフリカに、次いで1913年(大正2年)英国に進出してヒューム社を設立しました。以後、アメリカ、カナダ、インド、シンガポールなど、世界各地に特許を出願してヒューム管の普及に努めていきました。
ヒューム社が日本で特許を得たのは、1921年(大正10年)のことでありました。 |
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