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ヒューム管は,1910年,オーストラリアのヒューム(W. R. Hume)氏が発明し,我が国には1925年(大正14年)に導入された。その製造上の特徴は,型枠に詰めたコンクリートを強い遠心力で締め固め,水セメント比の小さい緻密で強固な鉄筋コンクリート管を作ることであった。
ヒューム管は,この画期的に優れた性状から,我が国では管路,導渠の築造で永らく主役の座を占めてきた。一般に,「下水管=ヒューム管」といったイメージが定着した。昭和30年代,高度経済成長期以前,町中の空き地や原っぱは腕白坊主達の遊び場だった。その隅にはヒューム管が2,3本転がっていて,子供達の格好の隠れ処,遊び道具だった。その光景は,漫画「ドラえもん」にもよく登場する。それほど,ヒューム管は普段の生活の場に密着していた。
その関連業界に,今日,往年の活力が失せたように見えるのは,私の単なる杞憂だろうか。我が国の下水道整備の経緯を辿れば,昭和50年代以降,下水道整備が地方に進展し,分流式下水道が前提とされ,小口径管材の需要が急速に伸びた。が,施工面で塩化ビニル管が優位との認識から,ヒューム管の需要は下降ぎみとなった。また,今日,公共事業全般にわたる抑制で下水道投資額が落ち込んでいることもある。
そのなか,往時のヒューム管製造量は現状で半減し,休止した製造ラインも多いと聞く。関係業界に元気が出ないのも頷ける。だが,ここで考えて欲しい。今日,ヒューム管自体の優れた特性は何ら変わらず,いや,さらに向上しているはずである。仮に,社会がそれを適正に評価しないと悲観するなら,それ以前に,業界側の姿勢,対応を省みる必要があるのでは……。そのような気持ちから,エールを込めて次の二点をお伝えしたい。
一点目
「下水道管渠築造工事で求めるものは,下水道管渠である。管渠を構成する主材は管材である」
これは自明な事実だ。管渠工事は,本来,適正に機能する下水道管渠を造るために行うものだ。したがって,工事後に残るのは,下水道管渠,すなわち下水道用管材だけだ。そして,下水道として最終的に評価,批判されるのはその管材である。
工事関係者は,往々にして,生コンや砕石,土留め材などと並びで,管材も工事に必要な資材の一つと考えていないだろうか。かつて,ヒューム管は工事発注者からの“支給材”として扱われていた。当時,管材は管材の世界だけで考えればよく,工事の世界に左右されることはなかった。あの頃に帰りたい,といった哀愁じみた声も,時に耳にする。だが,本質は,そんな次元では無いはずだ。管材は,あくまでも管工事での主役,良いも悪いも最後に評価されるのは管材,その全責任は管材メーカが負うとの自負を改めて自覚すべきではないか。
「御輿に乗る人,担ぐ人,そのまた草鞋を作る人」といった言葉がある。ここで問題なのは,御輿と担ぎ手の関係だ。当世,夏祭りなどでは御輿を担ぐ方が主役のような顔をしているが,そもそも,御輿に乗る方が主役で,担ぐ方は,乗り手を際立たせ,その演技,機能を最大限に発揮させるのが役目のはずだ。
私は,今,推進の世界に携わっているが,推進工法が我が国に導入されてわずか半世紀,人が入れぬ小口径管推進工法が開発されてわずか四半世紀,我が国の推進技術は世界に冠たる地位に進展した。今や,小口径でも,長距離,曲線推進は当たり前となっている。ただ,時に事故例も報告される。その際,往々にして,施工側は「こんな弱い管を作りやがって……」。管材側は「こんなに乱暴な工事をしやがって……」。そのような声が聞こえもする。自らの立場からすれば,考えの違いも当然かもしれない。
このような時こそ,管材側は,管渠工事における自らの立場,役割を自覚し,主張すべきは明確に主張すべきだ。ただ,権利を主張すれば,義務も生じる。主張に値する商品,管材を世に提供しなければならないことも自明である。
二点目
「ヒューム管は,自らの本質,強みを忘れてはならない。競合品が現れるたび,相手側のルールで競技することはない」
ヒューム管の本質,最大の売りは,“安くて,強くて,どこでも手に入る”こと,その3拍子であったはずだ。それは今でも変わらない。この3拍子,どれが欠けても,ヒューム管の本質たり得ない。果たして,この鉄則を乱したことはないだろうか。
かつて,競合する塩化ビニル管側から,ヒューム管の“粗度係数”と“耐酸性”で挑まれたことがあった。
マニング式の粗度係数は,コンクリート面が0.013,樹脂面が0.010。塩化ビニル管は,管断面が3割縮小しても,同等な流下能力を確保できる,と言う。現実はどうだろうか。これらの係数値は,あくまで実験室内,清水,満管流で計測されたものであり,そのような下水道管渠は全国どこを探しても無い。下水管内の流れは,自由水面を持つ自然流下,しかも時間で変化する脈流である。また,内面には,材質に係わらず経時的にある程度のスライム層が付着する。そんな状況で,両数値の差が即“実態上の差”になるとは思えない。
一方,耐酸性については,多少,深刻な問題である。管内を流下する“生下水”は腐敗性である。下水中の炭素化合物などは,下水中のわずかな溶存酸素を使い,好気分解が進む。溶存酸素が失われた段階で,硫化物は還元され,硫化水素(H2S)が生成され,管内上部の気層に放出される。そこで,再度,酸化され硫酸(H2SO4)が生成される。硫酸は管内面に付着した水滴に溶け,コンクリート面からアルカリ分を溶出させる。
硫酸に侵されたコンクリート面は,セメント分を失い崩壊し,内部の鉄筋まで浸食が進めば,最早,鉄筋コンクリートとしての構造強度すら失う。道路下に埋設された下水道管渠が,このような崩壊状態に至れば,下水道管の機能喪失はおろか,道路面の陥没事故さえ起こしかねない。
そこで,ヒューム管側は,コンクリート管内面に樹脂を塗布して耐酸性を確保した。ただ,その分,製作コストは高くなった。樹脂系パイプと同等な強度を確保したなら,後は,コストと施工性での比較となる。その評価軸でヒューム管は優位を取れるか。先の3拍子のうち,第二拍子は抜群に強調できたとしても,第一,第三拍子はかなり力弱いものにならなかったか。
下水道管渠を硫化水素に起因する腐食から防御することは,下水道事業運営上,重要な課題である。だが,それが懸念される箇所は,極めて限定されている。その懸念を無視できる管渠区間の方が,はるかに多いのが事実だ。その広い土俵こそ,ヒューム管が,本来,競技すべき場のように思えるのだが……。
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下水道の世界に身を置く者として,率直にかつ勝手な意見を述べさせていただいた。ヒューム管の本質,良さを再確認していただきたいとの思いからだ。これが少しでも,ヒューム管関係者の明日に向う活力の一助となれば幸いである。
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