今年の残暑は例年に比し、相当厳しかった。当地山口でも8月に入ってから、処暑を迎えた8月末まで雨らしい雨も殆んど降らず、30℃を超える真夏日が幾日も続き、家庭菜園の野菜類も日中はグッタリしていることが多かった。夕方、菜園の水遣りも一作業を終える頃には身体中汗だらけで、その後に浴びるシャワーが実に心地良かった。私は酒が飲めない。酒好きの方であれば、一汗かいた後のビールの一杯が実に旨いであろうことが容易に想像がつく。
ところで、私の趣味の一つに渓流釣りがある。沢に木々の新芽が芽吹く4月の初めから、“秋”を感じる8月末までの約半年間は、休みが取れると決まって渓に入り、ヤマメやイワナ等の渓流魚と戯れることが何より楽しみでもある。
初夏にはタラの芽やワラビ等の山菜類を採取し、沢に水が涸れる盛夏には暑さ凌ぎを兼ねる釣行をすることが多い。平地では“ウダル”ような暑さが続いていても、渓は水温が約15℃位であるため、沢を渡る風は実に心地良く、こうなると渓魚が釣れようが釣れまいが、どうでもよいとさえ思うようになるのである。8月も終わりを迎え、そして西中国山地で渓流釣ができる私の夏も終わった。渓流釣りは来春3月までお預けである。
渓流釣り師への道
(以下、私のホームページの掲載文から)
私の生まれ故郷は、鹿児島から洋上遥か離れた屋久島の当時下屋久村安房と呼ばれた小さな集落であった。そこは眼下に太平洋の荒波が打ち寄せる海が、そして背後には洋上アルプスと呼ばれる険しい山々が迫る大自然に囲まれた絶景の地であった。両親はタングステン鉱山で働いており、私は別の所で祖父母と暮していたような記憶がある。祖父は宮崎の山村出身の樵であった。この祖父が折りにつけ私を山や海に連れていってくれた。もちろん山の幸・海の幸を獲るためである。ある時、祖父が自分の生まれ故郷である『秘境・椎葉村』の話をしてくれた。『椎葉ん里じゃ正月前になっとナ、ミ(竹製の大きなザル)を持って沢に下り、枯葉が浮かんじょる淀みを見つけ、枯葉ごつ川ん水を底から掬うとよ』、『そすと、鯖んごつある太かエノハが5〜6匹獲れっから、何べんか繰り返し、正月ん酒ん肴にすっとよ』。『海が遠うして無塩(新鮮な海の魚)は手にゃ入らなからナ』。この時の話は今でも憶えている。この話が、今日私が渓流釣りにのめり込むきっかけになったか否かは定かでない。何の因果か、会社勤めの関係で約15年熊本市の近郊で生活した。子供達もここで大きくなり、天草の海にも子供達とよく海釣りに出かけた。けれども自然に足が山に向かうようになった。気がついたら、やがて25年が過ぎようとしている。定年を迎えたら中国山地の奥か、九州の山奥に小さな庵をこさえて住むつもりでいる。もちろん妻は猛反対するだろう。
さて、こうして渓流釣りをするようになったのだが、最近気になることがある。
ここ4〜5年初夏に渓に向かう道中で、山菜採りをする人達に出会うようになった。これはこれでなかなか良いことだと思っている。以前から蕗を採る人達はよく見かけていたが、最近はタラの芽が標的になっている様子である。あれは採れたてをテンプラにして食すと実に旨いもので、うちの妻などはこの季節になると、『タラの芽を採りに連れていって』とせがまれている。
ところで、山菜採りをする人達が善人ばかりとは限らないという事例を一つ。
数年前、西中国山地のとある林道で、タラの樹がことごとく枯れているのを目撃した。良く見ると幹の先端が刃物で切断され、次の新芽が芽吹くことが出来ぬまま枯死しているのだ。おそらく、タラの芽を素早く採取し、これで商売をしてやろうという魂胆なのだろうが、幹の先端を刃物で切断されては、樹が枯れてしまうのはあたりまえである。2つか3つ出る新芽のうち、せめて1芽を残してやるくらいの心配りが何故できぬのか。実に嘆かわしいことだ。
この他、ゼンマイやコゴミの採取でも1株に1〜2本の新芽を残して採るというのが古くからの掟でもあるはず。自然環境の保全・保護が提唱されてから久しいが、当事者の一人として、渓流魚の保護・山野草の保護にはさらに気を配っていきたい。 |